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元気に過ごしています!

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本年もよろしくお願いいたします。随分とご挨拶が遅くなりましたが、変わらず元気に過ごしております。

先月中はお歳暮の配達があり非常に忙しい日々を送っておりました。下旬にはお歳暮の配達が若干少なくなったのですが、29日から31日にかけては大量のおせち料理の配達があり、昨年中は最後まで非常に忙しい日が続いていました。今月は通常に戻り、先月の忙しさがまるで嘘だったかのように穏やかに感じられます。ブログを更新する余裕が少し出てきたのでまた更新を再開していきます。

先日、中学校の同窓会の際にある女の子から「お母さんがよろしくって言ってたよ」と言われ驚きました。中学・高校とが一緒になり、今でも私が時々連絡をとっている唯一のその女の子が、家で私のブログのことを紹介してくれたそうです。このブログは主に私の家族と間違って表示してしまった人ぐらいしか見ていないものと思っておりましたが、他にもご覧になる方がいらっしゃることを知りうれしい限りです。ブログをご覧くださっているおばさまに感謝申し上げます。

今後ともブログを通じて近況と斬新な発想をお伝えしていきますのでよろしくお付き合いください。


一万円札しか持たない!釣り銭キラーの客

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宅配便の兄ちゃんのぼやき

「一万円札しか持たない!釣り銭キラーの客」


宅配便の兄ちゃん「代金引換のお荷物です。1234円です。」
お客さん「1万円でお釣りをください。」
宅配便の兄ちゃん「えっ!ふざけんなよ。」
 ――決して口にできない心の声



代金引換あるいは着払いの荷物を届けていて困るのは、少額でも一万円札を出すお客さんに出くわした時だ。一万円札を出されて、さらに「千円札も小銭もない」と言われると非常に困る。そんな時は「ふざけるんじゃねえよ」という思いが込み上げてくるが、客商売である以上絶対にそんなことは口にできないので必死にこらえている。

うちの会社の場合、配達に出るときに会社から預かる財布には1万円しか入っていない。せいぜい千円札が7、8枚と小銭が2、3千円分しか入っていないのだ。そのため、代金引換、着払いなど代金の回収を伴う配達において、数百円、数千円の支払いに一万円札しか出さないお客さんと出くわすと瞬時に釣りがなくなってしまうのだ。千円札の少ない時は千円札で払ってもらえないかお客さんに尋ねるが、意外と一万円札しかないと言い張るお客さんも多い。

会社は釣り銭を用意してくれない。財布を預かった後は配達員各自が釣り銭をうまくやりくりしなければならないのだ。ぼくは毎回自分の財布に千円札を20枚入れておいて、一万円札をくずせるようにしている。ただ、先のような一万円札しか持たないお客さんに2件続けて出くわしてしまうと後がない。私用の財布に千円札ばかりで3万円も4万円も入れて持ち歩くのも嫌だ。

少額でも一万円札を差し出すお客さんには悪気はないだろう。外回りの経験がなければ、数百円、数千円の支払いで一万円札を出すと相手が困ることに気付かないのも無理はない。ぼくも配達を始める前はそんなことを気に留めなかったが、集金する身になってからは釣り銭の用意の難しさがわかるようになった。今では家に常に小銭を用意しておき、集金の人には必ず丁度の金額を渡せるようにしている。

あらかじめ金額がわかっている支払いについては、支払う額と丁度の金額を準備しておいてもらいたいものだ。もし準備できなかったとしても、せめて釣り銭ができるだけ少なくなるようにして支払ってもらいたい。例えば5678円の支払いでは、1万円だけ渡すのではなく1万678円渡す、6000円出すのではなく、6080円渡すといったようにだ。こうしてもらえるだけでずいぶんと釣り銭の準備が楽になる。決して一万円札しかないという状態にはしないでもらいたい。


見た目に磨きをかけよう 同期と会って感じたこと

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今日は学食で同期の公務員志望の男と偶然に会った。彼は面接に落ち続けて自分がダメ人間に思えてきたと嘆いていた。彼には申し訳ないが、無理もないと思えてならない。なぜなら彼にはきれいな印象がないからだ。

食堂で会って声をかけられたときの言葉は「ティッシュを貸してくれ」だった。鼻水がでていても鼻をかむすべがなかったのだ。彼は揉み上げが伸びっぱなしになっていて、頭の毛はぺったんこになっている。髭はそっておらずちょび髭が生えていて、メガネは水滴の汚れと埃まみれで汚い。清潔な印象がない。

見た目がその人の人となりの全てとは限らない。面接の際に身だしなみのことが原因で彼の評価が下がっているのどうかははっきりとはわからない。ただ、普段から身だしなみに無頓着で汚ならしい感じの人が、面接のときだけにわかに好印象に振る舞えるはずがないとぼくは強く思う。

彼は爽やかで格好の良いイケメンとは程遠く、どちらかというとおたく系で暗い感じの印象だ。顔、身長などは持って生まれたものだから自分で変えることはできない。仕方のないことだ。だが、見た目の印象は自分の努力で変えることができる。身だしなみに気を付ければ清潔で良い印象を持ってもらうことは十分可能だと思う。

出かける前に、ティッシュを持ったか、ひげのそり残しはないか、髪の寝癖はついていないか、頭のフケが肩にのっていないか、メガネは汚れていないか、爪は伸びたままになっていないか、歯が汚れていないかといったことを意識すると彼はもっと良い印象が得られると思う。

流行の服を着て髪の毛をいじって格好つけていても、爪が伸びたままの人、髭が伸びたままの人、メガネが汚れたままの人などは格好悪いと思う。逆に、センスが悪くて見た目はそこそこでも、きちんと爪を手入れしたり、髭をそったり、メガネをきれいにしている人は品があって格好が良いと思う。前者はうわべだけを飾って中身が貧弱な感じがするが、後者は見かけによらず内面がきれいだと思えるからだ。

ぼくは例の彼と同じように、顔とか服のセンスが格好良いと決していえるようなタイプではない。だが、いつも上のような身だしなみには注意して内面を磨いている。ぼくがブログで使っている「飾らない男」には、うわべだけを飾るようなことはせず、内側から気品のある者でありたいとの思いが込められているのだ。

「その顔で」と驚かれるかもしれないが、ぼくはいつもカバンに歯ブラシ、ウェットティッシュ、手鏡、クシ、楊枝、耳かき、リップクリームなどを入れて持ち歩いている。男のくせに化粧ポーチを持っているのかと不思議に思われるかもしれない。ぼくは汚らしい印象を持たれたくないので、服装のセンスがだめでも細かいところには注意を配っている。

学食で会った彼にもぼくのように化粧ポーチを持てとは言わない。だが、せめて普段から髭をそったり、ティッシュを持ち歩いたり、メガネのレンズを拭いたりするなど意識したら良いと思う。そうすれば野暮ったくどこかだらしのないような印象から抜けることができるだろう。ぜひ彼には意識を変えて見た目に磨きをかけ、良い結果を得られるようになってもらいたいものだ。


近況

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宅配便の配達のパートを初めてそろそろ2か月になる。9月中は一件届けるたびに地図とにらめっこしていてとても遅かったが、最近はアパートとか荷物のよく届く家であれば地図を見ないで届けられるようになった。今月は新米が届くようになって、2、30キログラムの米が届くこともよくある。良い運動と社会勉強をさせてもらっていると思う。

先月中は空いた時間で料理を覚えようと思っていたが、ぜんぜんできていない。今月からは後期の授業が始まり、昼間は授業、夜はパートと余裕がなくなったからぜんぜん手の凝ったことはできていない。キャベツを刻むのだけは速くなったと思う。いつか凝ったことにチャレンジできたらと思っている。

最近は教職の授業で始めたプログラミングにはまっている。C、C++、JAVAという言語の基礎的なことを学んでいる。ぼくは飽きっぽい性格で長続きしないことが多いが、英語の学習とパソコンいじりだけは10年も飽きずに続けている。プログラミングという面白いおもちゃを見つけてうれしく思っている。

試験勉強しながら平日は毎日パートに行ったり大学にいったりする生活は忙しいが充実していて楽しい。大学院にいたときは毎日が苦痛で何も面白いと感じられなかった。物理的にも精神的にも空気のよどんだ研究室にこもって、目標の見いだせない研究と測定データとの戦いは実に耐えがたいものだった。今は目標があり、客商売から世間を学ぶという刺激もあるので楽しい。公務員試験の勉強は大学院で実験をしてデータを集めることに比べたらはるかに楽だ。こつこつと努力を続けるのが得意な自分の性にもあっている。

最近はウェブでの活動ではおとなしくしているが何とか楽しくやっている。また余裕を作っては気づいたことをお届けしていく。


二百円じいさん

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今日街中を自転車で走っていたときのことだった。道のわきに立っていた60歳から70歳ぐらいの年配の男の人が私の方を見て手を挙げ声をかけてきたのでその人の前で自転車を止めた。すると「昨日五条通で財布を落としちゃって」と話しかけられたのだ。私はその瞬間に「このじいさんは寸借詐欺のじいさんだ」と感じたので、続いて「200円……」と口にした瞬間にはすでに無視してその場を去った。最後まで聞いていなかったが、「200円」と口にした次の言葉が「貸してくれ」であったのは間違いないだろう。

私は5年前に京都に来てから今までに5回は年配の人から「何百円貸してくれ」と言われたことがある。皆60、70歳代以上のじいさんばあさんだ。「財布を落として金がなくなったから100円貸してくれ」「帰れなくなったから500円貸してくれ」などと言って金を要求するのだ。私はたとえ数百円であろうと眉唾な要求にお金を払うのは悔しいので、今まで金を払ったことはない。中には払ってしまう人もいるかもしれないが。

道端で年配の人から「何百円貸してくれ」と言われても、それは寸借詐欺と考えるのが正しいだろう。寸借詐欺とは数百円、数千円といった少額の金を借りると称して受け取って返さないことだ。「財布を落とした」「帰れない」というのは寸借詐欺の常套句だ。私は今日の「二百円じいさん」の他に、今までに「五百円ばあさん」に3回、「百円ばあさん その1」「百円ばあさん その2」に出くわして金を要求された経験があるのでよくわかる。「五百円ばあさん」については、以前の記録があるので参照されたい。

『五百円ばあさん』 - 飾らない男 ブログ (2010年1月11日)
http://blog.kazaranaiotoko.com/2010/01/blog-post_11.html

『五百円ばあさん 再び』 - 飾らない男 ブログ (2010年1月17日)
http://blog.kazaranaiotoko.com/2010/01/blog-post_17.html


200円ぐらいであればわずかな金額のように見える。しかし「二百円じいさん」のような類の人には、絶対に金を渡したくはない。他人から200円巻き上げることを毎日続けたとすると、その額は1か月で6000円にもなる。ちりも積もれば山となるとはまさにこのことだ。返す当てもなく、他人の好意につけ入って金をとるのは卑劣な行為であり許しがたいと私は強く思うので、「財布を落とした」などと声をかけてくる人は相手にしないのだ。

何百円貸してくれなどと言われても相手にせずにその場を去るのが良い。本当に金がなくなって困った場合、交番、警察署などに行って事情を説明すれば、帰り道の交通費ぐらいの金は貸してもらえるのだ。「財布を落とした」「金がなくなって帰れない」という言葉を真に受ける必要はない。たとえ数百円であろうと。

まだ世間知らずの大学2年のときは、道端で「100円貸してくれ」と言われた際にまともに相手をしていた。今はそんな人に出くわしても無視できるようになった。少しは世の中ことがわかって成長したと思っている。振り返ってみると、歳を重ねるごとに純粋さが薄れて、ずる賢くなっていると思う。小学校1年の時は給食を残してよく居残りをさせられていた。下校時刻になり先生が根負けして帰らせてくれるまで学校に残っていた。今振り返ってみれば、先生のいない隙に要らない紙切れに残飯を包んで家に持って帰れば良かったと思う。純粋だった私は要領を知らなかったのだ。年月を重ねるにつれて生きていくための要領を学んでいくことが、今日、改めて実感できた。


「ハングル」の裏にあるもの

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今朝の「みのもんたの朝ズバッ!」を見ていたところ、能登半島沖で脱北者の乗ったとみられる船が見つかったニュースで、キャスターが「ハングル語」が記された船と言っていたのを耳にした。「ハングル」とは韓国語の文字の名称であり、「平仮名」「漢字」「アルファベット」などと同じことであるので、正確には「ハングル語」「ハングル文字」と言うのは間違っている。しかし報道に携わる人たちであってもこのような間違いをするのは無理もないことだと思う。それは、朝鮮半島で使われている言語、文字の呼び方が定着していないからだ。その裏には複雑な事情がある。

朝鮮半島で使われている言葉と文字の呼び方は実のところ定着していない。「韓国語」「ハングル」という言い方があるではないかと思われるかもしれない。しかし「韓国」語と表現してしまうと、あたかも朝鮮半島の南側だけで使われているような印象を抱かせかねない。実際、朝鮮半島北部では、朝鮮半島の言葉のことを「朝鮮語」と呼び、文字のことを「チョソングル」と呼ぶ。「韓国語」と表現すると、朝鮮半島北部側の人たちから反発を招き、「朝鮮語」と表現すると朝鮮半島南部側の人たちから反発を招く。こうした事情を考慮し、メディアでは朝鮮半島の言葉のことを「韓国語」と表現するのを避け、「ハングル」といってぼかしている。

試しにNHKの外国語講座について調べてみよう。書店に行った際はNHKのテキストが並んでいるところを注意して見てほしい。「英語講座」「フランス語講座」「ロシア語講座」「中国語講座」「アラビア語講座」などといったタイトルのテキストはあるが、「韓国語講座」「朝鮮語講座」と書かれたテキストはない。(*1)朝鮮半島の言葉の講座だけ「ハングル講座」になっているのだ。「英語講座」「中国語講座」のことを「アルファベット講座」「漢字講座」と呼ぶのと同じぐらいに奇妙なタイトルであるが、これは「韓国語」「朝鮮語」と表現するのを避け、苦肉の策でつけられたタイトルだ。NHKの外国語講座に限らず、注意してテレビのニュースを聞いていると、「韓国語」「朝鮮語」という言葉はあまり聞かない。

朝鮮半島の言葉は、南部であろうと北部であろうとルーツは同じだ。「グル(クル)」とは朝鮮半島の言葉で「文字」を意味する。「ハン」は「唯一の、偉大な」という意味であり、「ハングル」を英語風に表せば「The Character」となる。一方「チョソン」は「朝鮮」のことであり、「チョソングル」は「Korean Character(朝鮮文字)」となる。韓国語、朝鮮語、ハングル、チョソングルのいずれも、もとは同じものであるが、呼び方においても南北で隔たりがある。戦争によって朝鮮半島が南北に分断されているという政治的な事情が、表記の定着しないことの背景にあるのだ。

似たような問題は、朝鮮半島の隣の中国大陸にもあるようだ。中国では「中国と台湾」という表現が好ましくないようであり、「大陸と台湾」と表現するようだ。(*2)「中国と台湾」と表現すれば、中国(大陸)と台湾(島)が別のものであるという印象があり、中国大陸と台湾島の領有を主張する「中華人民共和国」が反発する。台湾島を実効支配する「中華民国」にとってみれば、国民政府が支配する台湾島は共産党の支配する大陸とは違うと主張し、台湾島が中国の一部であるとの中華人民共和国の主張に反発する。そのため、2つの場所の地理的な名称だけをとり、「中国大陸と台湾島」という表現が生まれたようだ。私がこの記述の中で「韓国語」「朝鮮語」と表現せずに、あえて「朝鮮半島の言葉」という表現を用いたのは、この表現方法を真似させてもらったからだ。

キャスターが「ハングル語」と口にしたのは些細なことに思えるが、実はこのような複雑な事情が隠れているのは面白い。個人的には、朝鮮半島の言葉は「朝鮮語」と呼べば良いと思っており、プライベートな場ではそう呼んでいるが、日本の政府が朝鮮民主主義人民共和国を承認しておらず、大韓民国の人々と付き合いがある以上、公の場において朝鮮半島の言葉のことを「朝鮮語」と呼ぶのは控えている。メディアが朝鮮半島の言葉を「ハングル」と表現することに違和感があるが、英語のKoreanに代わる言葉がない現状では受け入れるしかないだろう。

参照

(*1) NHK語学番組 - NHK ONLINE http://www.nhk.or.jp/gogaku/
(*2) 『「大陸と台湾」はOK、でも「中国と台湾」はノー』 - 日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110712/221442/


花嫁修業中

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最近は外食を一切しないで毎日三食を家で食べている。なるべく自分で手をかけるようにしている。トーストを食べるにしても、パンを焼いてジャムを塗るだけではなく、ウインナー、ピーマン、玉ねぎをスライスしてチーズと一緒にパンに載せて焼いてピザトーストにすることもある。出来合いのもの買って手抜きをすることもあるが、必ず野菜を足すなどして一工夫するようにしている。

今は家にいられる時間がたくさんあるのだから、自分で調理できるせっかくのチャンスを逃すのはもったいないと思って家で食べるようにした。……本当は6月の終わりぐらいに金欠になってたから外食を辞めたのだが。それ以来外食せずに家で食べるのを続けて習慣になっている。

今までは朝から夜までフルタイムで働いていたので家に帰るとどっと疲れが出て調理する気にはならなかった。――3月までは月給がマイナス8万円の研究所に勤めていた。――さらに薬品が付いているかもしれない手で食材に触るのにはためらいがあった。毎日3食を外食していて、ひと月の食費は3万円かかっていた。今は2万円もかからない。

一人暮らしの場合、家にいられる時間が取れないと自分で料理しようとする気にならないのではないかな。一人用のアパートは台所が狭くてコンロも一口しかないから調理しにくい上に凝ったことはできないからとっかかりにくい。一人だと朝にお弁当を作ると、朝ご飯と昼ご飯が同じものになってしまうこともしばしば。一人分も二人分も作る手間は同じなのに、一人分だけを作るのは効率が悪い。

今は毎日昼間家にいられて好きな時に買い物に行けるから家事をしたり勉強をしたりするのにはすごく恵まれている。スーパーを3軒ぐらいはしごしてそれぞれの店の安い物を買ったり、夕方になって少し安くなるころを狙うバーゲンハンターをしたりできて、まるで主婦のおばさん気分だ。洗濯物を干して畳んだりするのと掃除したりするのも好きだから、もし収入のいい人と結婚したら専業主婦になるのもいいかと思ってしまう。

自分一人の分だけ食事を作るのってちょっとむなしい。うまくできても、失敗しても何にも言われない。感動が自分の中だけに納まってしまうからさみしい。でも今は良妻賢母――男だから良い夫、賢い父か――を目指して、料理を含め家の事全般をこなせるようになるための花嫁修業をして有意義に過ごしていこう。今はフライパンの上で火を通す調理ばかりしているが、今後は煮る、揚げるといった分野も開拓して幅を広げて、普通の男の人とはちょっと違うことのできる男にぼくはなる。


宅急便の配達のパートを始めた

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先週から宅急便の配達のパートを始めた。7月のお中元の配達の短期アルバイトをしていたので、普段もパートで配達をしてくれないかと声をかけてもらえたのだ。現在、リヤカー付きの自転車で回って配達している。

仕事内容は、荷物の送り状をもとに地図を見ながら配達のルートを組んで、自転車で荷物を送り先に届けることだ。送り状の住所に荷物を届けるというこの仕事は単純なのだが、やってみると意外と大変だ。

今配達しているのは夕方6時から8時と8時から9時の2つの時間帯の荷物。指定された時間内にいかに効率よく荷物を運べるか考えてルートを組む。まだあまり配達の地域に慣れていないので、今はまだルートを組んでも1軒配達するたびに地図とにらめっこしていて効率が悪い。さらに暗くなってからは表札がよく見えないので大変だ。

ルートを組むうえで難しいのは一方通行のことも考えて無駄のない道順を考えること。一方通行と進入禁止の標識は「自転車を除く」となっているため、普通の自転車は一方通行を考えずに自由に行き来できる。しかしリヤカー付きの自転車は軽車両の中の「自転車」扱いにはならないので、バイクと同じように一方通行を守って車道を走らねばならない。

何の仕事でもそうだと思うが、今までお客さんとしての立場から見ていた仕事を実際に自分がしてみると、お客さん気分でいてはわからなかった事情、苦労などがわかって面白い発見があるものだ。教育実習では、一時間の授業をするために数時間、数十時間の準備が要される大変さを肌で感じた。宅配では、ただ配達するのではなく、地図を見ていかに効率よく回るかを考えたり、嫌な感じのお客さんがいてもお客さんの前では愛想よく対応したりする苦労がわかり、世界が広がった。

慣れるまでは大変だが、新しい発見のある今の生活は楽しい。もし大学院にとどまっていたら、今頃は朝から晩まで研究室に閉じこもって、家と学校を往復するだけの単調で無味乾燥の生活をしていただろう。お客さんのいない、社会から孤立した研究室に引きこもって仕事(研究)をしているよりも、いろんな人を目にして、人の喜ぶ顔を見たり変な人の顔を見たりしている方が社会との関わりが感じられて充実している。

これからも宅配で感じたことを記録して紹介しよう。


返事のあるメール、返事のない手紙

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知人にメールで「元気?」と送るとほとんどの人が返事をくれる。10人に送れば1人、2人ぐらいのメール不精な人を除いて8人、9人は返事をくれる。だが、同様に手紙で「元気?」と送ると返事をくれる人がかなり減る。10人に送れば返事をくれるのは3人ほどだ。同じ文面であっても送る手段によってずいぶんとその後の流れの違うことが実に面白い。

携帯電話が普及し誰もが携帯電話でメールのやり取りをする現在、年賀状以外に手紙を出して返事をくれる人は皆無といえる。私の経験上、10人に手紙を出したとすると、手紙で返事をくれるのが1人、電話かメールで返事をくれるのが2人ほどだ。今時手紙を出して返事をくれる人はよほどまめな人なのだろう。

メールを受け取るとメールで返事をするが、手紙を受け取るとメールでも返事をしない人にとり、返事をするかしないかの違いは何から生じるのだろうか。このようなことを本人に尋ねることなど間違ってもできないので、本当の答えはわからない。これは憶測にすぎないが、メールや手紙への返事をするかどうかの違いは次の点から生じると私は考える。一つはメールを作成する手間、一つは優先度の順位づけ、もう一つは手紙に対する習慣だ。

(1) メールを作成する手間

多くの人はメールを出すこと自体は厭わない。初めに受け取ったのがメールであろうと手紙であろうと、メールに返事の文面を打つことには違いがない。両者の違いといえばメールを作成するまでの手間であると考える。

受け取ったメールへ返事をする場合は、返事をしたいメールを表示して「返信」ボタンを押すことでメール作成画面に移ることができる。ワンタッチでメールの編集画面を表示できるので実に手軽だ。一方、手紙を受け取って新規でメールを送るとなると、わざわざ「メール」のメニューを開き、メールの「新規作成」とたどらねばならない。さらに相手の送り先をアドレス帳で調べて選ばなければならない。

手紙にメールで返信することは、メールにメールで返信することとは違い手間がかかるので、皆新規作成メールでの返事を敬遠するのではないだろうか。

(2) 優先度の順位づけ

受け取った手紙にメールで返事を出すことは、受け取ったメールにメールで返事を出すことに比べて優先順位が低くなるのであると考える。

メールの受信トレイにメールがあれば、返事を送ることがその人のトゥドゥリスト(現在するべきことを書き出した一覧表)に入るだろう。リストに載った仕事については優先的に取り組もうとする。一方、メールではなく手紙を受け取った場合はメールの受信トレイに連絡を受け取った形跡がない。当然のことながら、手紙はそのリストには載らないのであるから、受け取った手紙へ返事をすることの優先度は下がり、放置され、やがて忘れられるのだろう。

(3) 手紙に対する習慣

最近は多くの人は年賀状以外に個人間で手紙のやりとりをすることが少なく、手紙で近況を伝え合う習慣がない。年末年始以外に私信の手紙をやりとりする習慣がないため、手紙を受け取っても何らかのレスポンスをするという発想がないのではないかと考える。

私は夏に暑中見舞いはがきを送ったところ、相手から、そのような手紙を受け取ったことがないためにどうして良いかわからなかった、という声を聞いたことがある。普段手紙を送っても返事のない人でも、年賀状を送ったりメールを送ったりすると返事をくれる人も中にはいる。年賀状以外に手紙のやりとりがない人にとっては、手紙に対するレスポンスをする習慣がなくともおかしいことではない。

以上が受け取った連絡へのレスポンスをするかしないかの分かれ目であると考える。



現在は手紙で連絡を受けた人にとっては良い時代だ。返事をしなくてもおかしくないのだから。大半の人は手紙を受け取っても、電話でもメールでもレスポンスをしないため、手紙に対する返事というのは安心して放置できる。一方、メールで連絡を受けた人にとっては大変な時代だ。メールはほぼ確実に返事が来るので、メールに対する返事も確実にしなければならない。2、3日返事が遅れればメールが遅いと思われるため、レスポンスの放置はできない。メールではなく手紙でやり取りする者にとっては肩身の狭い時代だ。


我先に…… ベルトコンベアーの前をふさぐ人たち

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この写真は先日飛行機を利用した際に空港で撮影した写真だ。飛行機から降りた客が、自分の預けた荷物がベルトコンベアーで運ばれて来るのを待っているシーンだ。私はこの光景を目にするたびに、コンベアーのすぐ前に群がる人たちの行動の効率の悪いことが極まりなく思えてならない。

コンベアーのすぐ前で荷物を待つ人たちは、恐らく、自分の荷物が運ばれて来たらすぐに荷物を手に取って出口に向かいたいとの思いがあるのだろう。しかしコンベアーのすぐ前で待ったからといい、自分の荷物が他の人の荷物よりも先に運ばれてくる訳ではない。コンベアーの前に立とうと離れて立とうとどうせ自分の荷物が出てくるまでの時間は変わらないのだから、皆がベルトコンベアーから離れたところで待てばよいと私は考える。

荷物が運ばれてくるのを待つ際は、皆がベルトコンベアーから2、3メートル離れたところで待機し、自分の荷物が来た時だけコンベアーに近づいて荷物を取るようにした方が人々の流れが良くなるのではないか。そうすれば、誰もが自分の荷物の届いた際にすぐにコンベアーに近づいたり離れたりでき、荷物の受け取りもスムーズになり効率的になると考えられる。そのように皆が並べば、人込みをかき分けて荷物をとりに行かずに済み、荷物を受け取った後も大きな荷物を抱えながら再び人込みをかき分ける必要もない。

コンベアーの前に群がる人たちは荷物が流れ始めてから自分の荷物が届くまでずっとそこ立ち続ける。このような人たちは、悪気はないだろうが、自分の荷物を取ることばかりに夢中になっていて、今目の前を流れている荷物を取ろうとしている人の進路をふさいでいるかもしれないことには気づいていない。皆がコンベアーから離れて荷物を待つことができればよいのだが、自分は少しでも他人より前に立ち少しでも先に荷物を取りたいという人がいる限りそれは実現しないだろう。残念に思えてならない。

この光景に対してこのような思いを抱いたきっかけは友人から聞いた一言だった。「日本人はコンベアーの前に群がる。」日本人に限ってのことなのかどうかはよくわからないが、海外経験が長く、国際線の飛行機に何回も乗っているその友人の言葉には説得力があった。それを聞いて以来、飛行機から降りて荷物を受け取る際の人々の行動が気になっている。効率的に荷物を受け取ることができるよう、また、海外に対して日本の人の行動が恥と映らないよう、コンベアーの近くでの行動を皆にはよく考えてもらいたい。