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コメントに対してのコメント

この投稿は、先日の投稿『私が営業の人に求めるもの』へいただいたコメントへのご返事です。

げんきさん、コメントをありがとうございます。

(i) 営業の人を通して契約することのメリットについて

「意味不明な優越感に浸ることができたということをメリットとして捉えてはどうでしょう」という考えには同意しませんが、営業の人を通して契約をした場合、お願いや問題がおきたときの相談がしやすい点がメリットであると考えています。

ある朝日新聞の営業の人は契約更新のとき以外は挨拶に来るわけではありませんが、会えば親しく話をしてくれます。また販売店ではその人が私のことを話してくれているので、お店の人が私のことを知っています。新聞屋さんに電話をして「後藤(仮名)です」と名乗れば、「ああ、あの後藤さんね。いつもありがとうございます。」と言ってくださいます。

すべての人に「挨拶に来てほしい」などと期待するのは私のわがままでありよくないとは思います。「契約してあげた」と高慢に感じさせてしまったかもしれませんが、一方で営業の人を通しての契約にこのようなメリットも感じており感謝しております。

(ii) 「その担当の営業さんににとっても、世の中全体にとっても、あなた一人ぐらい別にいなくても大して困らないのです」という記述に対して

ご指摘のとおり、私の一契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らないということもあるでしょう。しかし必ずしもそうであるとはいえないのではないでしょうか。私はそう思います。

私が新聞の契約更新を断ったとき、わざわざ私一個人のところに営業の方が見えて、15分近くも契約を続けてくれないかと頼まれたことが何回かあります。それは現在住んでいるところだけではなく、地元と以前住んでいたところでもありました。

私のたった一件の契約でも逃さないようにする人もいらっしゃるのは確かです。「私一人がいなくても大して困らない」のに、契約の解除を引き止めに来て時間をとる人がどこにいるのでしょうか。いないと思います。

個々人の一件一件の契約は微々たるものですが、それが積み重なってその人の成績となることも確かです。私の一件の契約は本当に小さなものですが、「なくても同じ」ものではありません。0(零)はいくつ足しても0ですが、私の一件は0ではありません。

私の契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らない、ということはある意味で正しく、またある意味では正しくないことです。とりあえず、このような新聞屋さんもいることはお伝えしておきたいと思います。


私は実際には営業の人に「毎月挨拶に来てくれ」「手紙をくれ」などとは要求しません。しかし、私の契約のような小さな「ちり」があってこそ「山」となっていることは、口に出さずとも心にとめておいてほしいものです。私がその「ちり」にあろうとなかろうと、営業の人がそのように山をなしていることを忘れないでいてくれればうれしいと思います。

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