以前投稿した『違和感ある「かしら」「だわ」「なのよ」』では、最近のテレビドラマの中で若い女の人が「かしら」「だわ」「なのよ」といった語尾で話す台詞に違和感があると書いた。
先日、このようなことについて研究された方の研究内容の一部がウェブで掲載されていることを偶然見つけた。
日本語ジェンダー学会の学会誌『日本語とジェンダー 5号』に『テレビドラマにおける女性言葉とジェンダーフィルター ―文末詞(終助詞)使用実態調査の中間報告より―』(北九州市立大学の水本光美 様)という投稿があった。
この投稿を拝見したところ、「文末の女性言葉についての使用実態」、「テレビドラマでの女性言葉の使われ方」、「脚本家による使われ方の違い」についての調査が載っていた。私としては非常に興味深い内容であった。
今後の研究、あるいは別の研究者による同じテーマの研究などについて今後も目を通して行きたい。
「飾らない男」の由来
京都にいらっしゃる方はお気づきかもしれないが、私のブログ、ウェブサイト名とハンドルネームである「飾らない男」とそのロゴは、京都銀行をモデルにしている。京都銀行のキャッチフレーズは「飾らない銀行」である。
(飾らない男のロゴ :
)
京都に住んでいて偶然出会った「飾らない銀行 京都銀行」というフレーズが、あるがままの自分でありたいという私の思いに見事合うものであった。そのため、それをもじった「飾らない男」を使わせてもらっている。
「飾らない男」については「単に飾り気のない『飾れない男』ではないのか?」「『飾る』のを面倒くさがっているだけではないのか?」という指摘をいただくかもしれないが、このような裏があることはお伝えしておこう。
参照 :
京都銀行
京銀CMギャラリー
(飾らない男のロゴ :
)京都に住んでいて偶然出会った「飾らない銀行 京都銀行」というフレーズが、あるがままの自分でありたいという私の思いに見事合うものであった。そのため、それをもじった「飾らない男」を使わせてもらっている。
「飾らない男」については「単に飾り気のない『飾れない男』ではないのか?」「『飾る』のを面倒くさがっているだけではないのか?」という指摘をいただくかもしれないが、このような裏があることはお伝えしておこう。
参照 :
京都銀行
京銀CMギャラリー
「飾らない男」の出典に気づいた人
今日は以前いたクラブのメンバーと久しぶりに酒を飲みに行った。
同じ学年のメンバーは半分以上が私と同様に4年で卒業できないとのことであった。途中で違ったクラブで活動していたとはいえ、皆が大学を4年で卒業できないほどクラブ活動に熱中していた点は一緒であるとの安堵感があった。
あるメンバーに「飾らない男」名刺を渡したところ、勘の良い彼は「飾らない男」のモデルである京都銀行に気がついてくれた。今まで黙っていたが彼はすぐに気づいてくれたので、私は驚いたと同時にうれしく思った。
同じ学年のメンバーは半分以上が私と同様に4年で卒業できないとのことであった。途中で違ったクラブで活動していたとはいえ、皆が大学を4年で卒業できないほどクラブ活動に熱中していた点は一緒であるとの安堵感があった。
あるメンバーに「飾らない男」名刺を渡したところ、勘の良い彼は「飾らない男」のモデルである京都銀行に気がついてくれた。今まで黙っていたが彼はすぐに気づいてくれたので、私は驚いたと同時にうれしく思った。
酒酔いの恐怖
先日非常に困ったことがあった。小学校のときの友達と久しぶりに会って初めて一緒に酒を飲んだところ、その友達が酔いつぶれて路上に寝込んでしまったのだ。
このハプニングに出会うのは初めてであった。今まで4年間、クラブや学科のメンバーで酒を飲んできたが、路上に寝込こむほど泥酔する人と会ったことはなかった。
運悪くこのとき酒を飲んでいたのはその友達と私の二人だけであった。さらに悪いことに、その現場が慣れた京都ではなく東京の歌舞伎町であったのだ。
彼は飲み屋をでる前、靴を脱いで上がる所に土足で上がって倒れこんでしまった。店を出てからはカラオケ屋の看板を倒したりペットボトルを投げたりするという危ない状態であった。
その友達は普段おとなしく、とても真面目な感じである。酒を飲んでまさかこのような事態になるとは思わなかった。
今回の件で、
新宿駅東側の靖国通り北側に近寄ったこと自体が怖かった上、初めての出来事に一人で直面しなければならなかったことは非常に運が悪かった。
困ったことに遭遇してしまったが良い教訓となったと思う。酒の付き合いには山登りと同様に注意を払って行きたい。
このハプニングに出会うのは初めてであった。今まで4年間、クラブや学科のメンバーで酒を飲んできたが、路上に寝込こむほど泥酔する人と会ったことはなかった。
運悪くこのとき酒を飲んでいたのはその友達と私の二人だけであった。さらに悪いことに、その現場が慣れた京都ではなく東京の歌舞伎町であったのだ。
彼は飲み屋をでる前、靴を脱いで上がる所に土足で上がって倒れこんでしまった。店を出てからはカラオケ屋の看板を倒したりペットボトルを投げたりするという危ない状態であった。
その友達は普段おとなしく、とても真面目な感じである。酒を飲んでまさかこのような事態になるとは思わなかった。
今回の件で、
・酒癖のわからない人と二人だけで酒を飲まない
・知らない土地で酒を飲むのはなるべく避ける
新宿駅東側の靖国通り北側に近寄ったこと自体が怖かった上、初めての出来事に一人で直面しなければならなかったことは非常に運が悪かった。
困ったことに遭遇してしまったが良い教訓となったと思う。酒の付き合いには山登りと同様に注意を払って行きたい。
小さいころと今と
金曜日にテレビのチャンネルを適当に変えていたところ、『佐賀のがばいばあちゃん』という話のドラマが目に入った。それに出てくる風景から、昔放送されていた『のんのんばあとオレ』を思い出した。
思わず『のんのんばあとオレ』を動画サイトで見てしまった。そして子供のころと今とでは感じ方が全然違うことに驚いた。
小さいころ、『のんのんばあとオレ』は妖怪が登場する不気味で怖いものに感じた。しかし今改めてそれを見てみると、全然怖い物ではない。人物の実写の上に妖怪のアニメーションを重ねているシンプルな作品であると冷静に考えてしまった。
『キョンシー』にしてもそうだ。キョンシーの作品は、現在は香港映画のように単純なアクション映画であると思ってしまうが、小さいころにこれを見ていたら、とにかくとても怖く感じただろうと思う。
昔触れた作品に現在再び触れてみると面白い発見があるものだ。映像作品の他にも、小さいときに見た絵本、物語本を見てみると、忘れてしまった昔の感覚に気づくかもしれない。
思わず『のんのんばあとオレ』を動画サイトで見てしまった。そして子供のころと今とでは感じ方が全然違うことに驚いた。
小さいころ、『のんのんばあとオレ』は妖怪が登場する不気味で怖いものに感じた。しかし今改めてそれを見てみると、全然怖い物ではない。人物の実写の上に妖怪のアニメーションを重ねているシンプルな作品であると冷静に考えてしまった。
『キョンシー』にしてもそうだ。キョンシーの作品は、現在は香港映画のように単純なアクション映画であると思ってしまうが、小さいころにこれを見ていたら、とにかくとても怖く感じただろうと思う。
昔触れた作品に現在再び触れてみると面白い発見があるものだ。映像作品の他にも、小さいときに見た絵本、物語本を見てみると、忘れてしまった昔の感覚に気づくかもしれない。
コメントに対してのコメント
この投稿は、先日の投稿『私が営業の人に求めるもの』へいただいたコメントへのご返事です。
げんきさん、コメントをありがとうございます。
(i) 営業の人を通して契約することのメリットについて
「意味不明な優越感に浸ることができたということをメリットとして捉えてはどうでしょう」という考えには同意しませんが、営業の人を通して契約をした場合、お願いや問題がおきたときの相談がしやすい点がメリットであると考えています。
ある朝日新聞の営業の人は契約更新のとき以外は挨拶に来るわけではありませんが、会えば親しく話をしてくれます。また販売店ではその人が私のことを話してくれているので、お店の人が私のことを知っています。新聞屋さんに電話をして「後藤(仮名)です」と名乗れば、「ああ、あの後藤さんね。いつもありがとうございます。」と言ってくださいます。
すべての人に「挨拶に来てほしい」などと期待するのは私のわがままでありよくないとは思います。「契約してあげた」と高慢に感じさせてしまったかもしれませんが、一方で営業の人を通しての契約にこのようなメリットも感じており感謝しております。
(ii) 「その担当の営業さんににとっても、世の中全体にとっても、あなた一人ぐらい別にいなくても大して困らないのです」という記述に対して
ご指摘のとおり、私の一契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らないということもあるでしょう。しかし必ずしもそうであるとはいえないのではないでしょうか。私はそう思います。
私が新聞の契約更新を断ったとき、わざわざ私一個人のところに営業の方が見えて、15分近くも契約を続けてくれないかと頼まれたことが何回かあります。それは現在住んでいるところだけではなく、地元と以前住んでいたところでもありました。
私のたった一件の契約でも逃さないようにする人もいらっしゃるのは確かです。「私一人がいなくても大して困らない」のに、契約の解除を引き止めに来て時間をとる人がどこにいるのでしょうか。いないと思います。
個々人の一件一件の契約は微々たるものですが、それが積み重なってその人の成績となることも確かです。私の一件の契約は本当に小さなものですが、「なくても同じ」ものではありません。0(零)はいくつ足しても0ですが、私の一件は0ではありません。
私の契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らない、ということはある意味で正しく、またある意味では正しくないことです。とりあえず、このような新聞屋さんもいることはお伝えしておきたいと思います。
私は実際には営業の人に「毎月挨拶に来てくれ」「手紙をくれ」などとは要求しません。しかし、私の契約のような小さな「ちり」があってこそ「山」となっていることは、口に出さずとも心にとめておいてほしいものです。私がその「ちり」にあろうとなかろうと、営業の人がそのように山をなしていることを忘れないでいてくれればうれしいと思います。
げんきさん、コメントをありがとうございます。
(i) 営業の人を通して契約することのメリットについて
「意味不明な優越感に浸ることができたということをメリットとして捉えてはどうでしょう」という考えには同意しませんが、営業の人を通して契約をした場合、お願いや問題がおきたときの相談がしやすい点がメリットであると考えています。
ある朝日新聞の営業の人は契約更新のとき以外は挨拶に来るわけではありませんが、会えば親しく話をしてくれます。また販売店ではその人が私のことを話してくれているので、お店の人が私のことを知っています。新聞屋さんに電話をして「後藤(仮名)です」と名乗れば、「ああ、あの後藤さんね。いつもありがとうございます。」と言ってくださいます。
すべての人に「挨拶に来てほしい」などと期待するのは私のわがままでありよくないとは思います。「契約してあげた」と高慢に感じさせてしまったかもしれませんが、一方で営業の人を通しての契約にこのようなメリットも感じており感謝しております。
(ii) 「その担当の営業さんににとっても、世の中全体にとっても、あなた一人ぐらい別にいなくても大して困らないのです」という記述に対して
ご指摘のとおり、私の一契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らないということもあるでしょう。しかし必ずしもそうであるとはいえないのではないでしょうか。私はそう思います。
私が新聞の契約更新を断ったとき、わざわざ私一個人のところに営業の方が見えて、15分近くも契約を続けてくれないかと頼まれたことが何回かあります。それは現在住んでいるところだけではなく、地元と以前住んでいたところでもありました。
私のたった一件の契約でも逃さないようにする人もいらっしゃるのは確かです。「私一人がいなくても大して困らない」のに、契約の解除を引き止めに来て時間をとる人がどこにいるのでしょうか。いないと思います。
個々人の一件一件の契約は微々たるものですが、それが積み重なってその人の成績となることも確かです。私の一件の契約は本当に小さなものですが、「なくても同じ」ものではありません。0(零)はいくつ足しても0ですが、私の一件は0ではありません。
私の契約がなくとも世の中の会社や営業の人が大して困らない、ということはある意味で正しく、またある意味では正しくないことです。とりあえず、このような新聞屋さんもいることはお伝えしておきたいと思います。
私は実際には営業の人に「毎月挨拶に来てくれ」「手紙をくれ」などとは要求しません。しかし、私の契約のような小さな「ちり」があってこそ「山」となっていることは、口に出さずとも心にとめておいてほしいものです。私がその「ちり」にあろうとなかろうと、営業の人がそのように山をなしていることを忘れないでいてくれればうれしいと思います。
私が営業の人に求めるもの
販売員の訪問や電話によって、新聞、電話、インターネットなどの勧誘を受けることがある。私はこのような営業の人に対して、その人を通して商品を申し込むとどのような特典が得られるのかを示して実行してほしいと思っている。
私は新聞、インターネットなどの契約を営業の人を通して行ってきた。これらの人は皆、契約をしてあげるまでは親切に対応してくれた。しかし多くの人は契約後、私との間に何もなかったかのように、特に挨拶や連絡をしてこない。
営業の人を通して商品を契約した客に対して、会社に直接申し込んで契約した客とまったく同じ扱いをして大事にしない人はずるいと思う。
客が営業の人を通して契約をした場合、営業の人はそれを自分の実績とすることができる。しかし客が直接申し込むのではなくわざわざと営業の人を通して契約する方法を選んでも、このケースでは特別なものを得ない。
私はこういったケースでは、営業の人が一方的に得をしていて不公平に感じる。客が直接会社に商品を申し込まずに営業の人を通して契約をした場合、客も当然それなりの特典を公平に受けられるべきであると思う。
私としては、わざわざと営業の人を通して商品を契約してあげたのだから、その人には会社と直接契約した客とは違う何かをしてもらいたいと思う。自動車、宝石、株などとは違い金額の小さい商品の契約であっても、せめて契約後に直筆ではがきをくれる、定期的に電話をくれるといった小さなことでもしてほしいと思う。
営業の人には、釣った魚にえさをやらないという扱いをしないでもらいたい。営業の人と私とは、最初は他人である。その他人からわざわざと契約するのであるから、契約後は他人としてではない対応をしてもらいたいと思う。
私は新聞、インターネットなどの契約を営業の人を通して行ってきた。これらの人は皆、契約をしてあげるまでは親切に対応してくれた。しかし多くの人は契約後、私との間に何もなかったかのように、特に挨拶や連絡をしてこない。
営業の人を通して商品を契約した客に対して、会社に直接申し込んで契約した客とまったく同じ扱いをして大事にしない人はずるいと思う。
客が営業の人を通して契約をした場合、営業の人はそれを自分の実績とすることができる。しかし客が直接申し込むのではなくわざわざと営業の人を通して契約する方法を選んでも、このケースでは特別なものを得ない。
私はこういったケースでは、営業の人が一方的に得をしていて不公平に感じる。客が直接会社に商品を申し込まずに営業の人を通して契約をした場合、客も当然それなりの特典を公平に受けられるべきであると思う。
私としては、わざわざと営業の人を通して商品を契約してあげたのだから、その人には会社と直接契約した客とは違う何かをしてもらいたいと思う。自動車、宝石、株などとは違い金額の小さい商品の契約であっても、せめて契約後に直筆ではがきをくれる、定期的に電話をくれるといった小さなことでもしてほしいと思う。
営業の人には、釣った魚にえさをやらないという扱いをしないでもらいたい。営業の人と私とは、最初は他人である。その他人からわざわざと契約するのであるから、契約後は他人としてではない対応をしてもらいたいと思う。
ひかりTVの勧誘
フレッツ光の回線を使いテレビ番組を配信する「ひかりTV」というサービスを勧誘する電話がかかってきた。電話については次のとおり :
電話番号 : 0120815999
発信元 : NTT西日本フレッツ光コンタクトセンター
この番号についてNTT西日本の116センター(NTTの問い合わせ窓口)に問い合わせたところ、この案内をしているのは代理店ではなくNTT西日本であり、福岡から発信されているということであった。
どのようにして私の番号を知ったのか勧誘の電話をかけてきた人に聞いたところ、始めは「ぷらら」の利用者を対象に電話しているとのことであった。「ぷららを利用していない」と伝えると、「フレッツ光」の利用者ということで連絡先を得たのかもしれないと言われた。
この番号と部署は検索しても見つからなかったので、最初は怪しい電話であると思っていた。どうやら「ひかりTV」の販促をしているNTT西日本の電話のようだ。
おそらく電話の着信履歴に残った「0120-815-999」という番号を検索する方が他にも多くいることだろう。とりあえず、116に問い合わせてこのような返答を得たということだけをここでは記しておこう。
電話番号 : 0120815999
発信元 : NTT西日本フレッツ光コンタクトセンター
この番号についてNTT西日本の116センター(NTTの問い合わせ窓口)に問い合わせたところ、この案内をしているのは代理店ではなくNTT西日本であり、福岡から発信されているということであった。
どのようにして私の番号を知ったのか勧誘の電話をかけてきた人に聞いたところ、始めは「ぷらら」の利用者を対象に電話しているとのことであった。「ぷららを利用していない」と伝えると、「フレッツ光」の利用者ということで連絡先を得たのかもしれないと言われた。
この番号と部署は検索しても見つからなかったので、最初は怪しい電話であると思っていた。どうやら「ひかりTV」の販促をしているNTT西日本の電話のようだ。
おそらく電話の着信履歴に残った「0120-815-999」という番号を検索する方が他にも多くいることだろう。とりあえず、116に問い合わせてこのような返答を得たということだけをここでは記しておこう。
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