私は5年前に京都に来てから今までに5回は年配の人から「何百円貸してくれ」と言われたことがある。皆60、70歳代以上のじいさんばあさんだ。「財布を落として金がなくなったから100円貸してくれ」「帰れなくなったから500円貸してくれ」などと言って金を要求するのだ。私はたとえ数百円であろうと眉唾な要求にお金を払うのは悔しいので、今まで金を払ったことはない。中には払ってしまう人もいるかもしれないが。
道端で年配の人から「何百円貸してくれ」と言われても、それは寸借詐欺と考えるのが正しいだろう。寸借詐欺とは数百円、数千円といった少額の金を借りると称して受け取って返さないことだ。「財布を落とした」「帰れない」というのは寸借詐欺の常套句だ。私は今日の「二百円じいさん」の他に、今までに「五百円ばあさん」に3回、「百円ばあさん その1」「百円ばあさん その2」に出くわして金を要求された経験があるのでよくわかる。「五百円ばあさん」については、以前の記録があるので参照されたい。
『五百円ばあさん』 - 飾らない男 ブログ (2010年1月11日)
http://blog.kazaranaiotoko.com/2010/01/blog-post_11.html
『五百円ばあさん 再び』 - 飾らない男 ブログ (2010年1月17日)
http://blog.kazaranaiotoko.com/2010/01/blog-post_17.html
200円ぐらいであればわずかな金額のように見える。しかし「二百円じいさん」のような類の人には、絶対に金を渡したくはない。他人から200円巻き上げることを毎日続けたとすると、その額は1か月で6000円にもなる。ちりも積もれば山となるとはまさにこのことだ。返す当てもなく、他人の好意につけ入って金をとるのは卑劣な行為であり許しがたいと私は強く思うので、「財布を落とした」などと声をかけてくる人は相手にしないのだ。
何百円貸してくれなどと言われても相手にせずにその場を去るのが良い。本当に金がなくなって困った場合、交番、警察署などに行って事情を説明すれば、帰り道の交通費ぐらいの金は貸してもらえるのだ。「財布を落とした」「金がなくなって帰れない」という言葉を真に受ける必要はない。たとえ数百円であろうと。
まだ世間知らずの大学2年のときは、道端で「100円貸してくれ」と言われた際にまともに相手をしていた。今はそんな人に出くわしても無視できるようになった。少しは世の中ことがわかって成長したと思っている。振り返ってみると、歳を重ねるごとに純粋さが薄れて、ずる賢くなっていると思う。小学校1年の時は給食を残してよく居残りをさせられていた。下校時刻になり先生が根負けして帰らせてくれるまで学校に残っていた。今振り返ってみれば、先生のいない隙に要らない紙切れに残飯を包んで家に持って帰れば良かったと思う。純粋だった私は要領を知らなかったのだ。年月を重ねるにつれて生きていくための要領を学んでいくことが、今日、改めて実感できた。

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